活動報告

2011.03.31

選挙期日の見込について。

マスコミ報道を受けての、「2〜6か月の選挙期日の延期が何時になるのか?」の問い合わせが殺到し追われる一日となる。選挙日の2か月延期だと思っていたら大間違いであった。延期することの法律の施行期日から2か月〜とのこと。度々のつまり最短だと5月22日告示→29日投票の公算が一番高いようだ。なぜなら6月10日前に選挙が出来れば、四年後の選挙は全国統一に合わせられるとのことで納得した。もしそうだとすると1か月と5日しか伸びないことになり慌ただしくなりそうだ。早く結論を出して欲しいもんだ。


2011.03.31

災害復旧の手伝い続く。

後から後へと続いていた相談やお助けコールもめっきり減ってきて終息の兆しを感じる。結局災害の被害者は一人暮らしの高齢者や老夫婦のみ世帯や母子や子どもという弱者であり政治の責任を改めて思わされた。災害復旧の相談の解決の為に市役所の災害対策本部へ5度目の訪問をしたが、必至で対応している職員にも疲れが見えてきてスタッフ同士がぶつかる光景に何度か遭遇する。市民会館へ移動した市役所の諸手続の窓口を訪ねると待ち状態の市民の方々と対応中の職員の熱気でまだまだ終息したとは言えない裏事情を感じ、行政手続きの簡素化の必要性を改めて痛感した。


2011.03.29

伸びていた出馬についての記者会見を行う。

各紙の記者の方々との会見が行われた。最初に立候補の動機や政策について話すよう求められ、時間に制限はないので自由にと言われ、またしても話し始めると止まらない自分がいて、途中で声を掛けられてしまった。まだまだ未熟だなあ?と反省させられた。質疑では概ね自分の伝えたいことを伝えられたと思う。会見が終了する直後に総務省からの2か月〜6か月の延期の決定が発表され、各紙からコメントを求められ「市民生活の実状からみれば遅すぎる決定であり、期日が未定というのは不満。早急に結論を出すべき。」と述べた。


2011.03.28

総務省に苦情申し入れ。

連日選挙がいつになるのか?との問い合わせがあるため、選管に確認することを止め、直接総務省に聞くよう電話番号を教える。
選挙期日がまたしても発表されないとのことなので、水戸市の不在者投票所の市役所が立ち入り禁止の状態、掲示板が計70カ所も立てられない状況、職員が復旧に追われていて疲労困憊している現状を伝え、早急な結論を求めた。終いには予定通りでも遅らせてもどちらでも良いから早く結論を出してくれ!と言ってしまった。もう1か月を切っているのに返答からは当分決まりそうもないように思え腹が立った。


2011.03.25

災害の影響による選挙日程の変更の発表が先送りとなりました。

総務省により「災害の影響による統一地方選挙の延期」が示され本日二次指定の市町村が発表される予定でしたが。二次の中には水戸・鹿島・行方はいずれももれてしまい28日に発表との予定が示されました。とても選挙が出来る状態にないという実状をみれば遅れて当然なのになぜ認めないのか理解できず一日も早い決定を総務省に電話で求めました。


2011.03.20

リリーベール小学校の卒業式に参加しました。

地震により延期となった卒業式はビクトリアホールで行われました。
一人ひとりの卒業生が卒業証書を授与した後、小さな花と感謝のメッセージカードを保護者席の自分のお父さんお母さんに手渡して言葉をかけるという今までの卒業式ではない光景が見られ感動しました。祝辞を述べる機会があり緊張しながら「大災害で町ごと流され行方不明で卒業式に出られない人が居ることに思いを寄せて今の自分の存在に感謝しよう。中学での友だちの中から一生の友だちができると言われていること。リーダーとしてたよりにされる自分造りをしてほしい。みんなで応援している・・・・」旨を話しました。市内の公立の小学校で男女混合名簿が使われ男女が混合で一緒に並び一緒に卒業証書を授与している中で、ベール小は男女の別をハッキリし男子から順番に授与していて新鮮に思えました。
私は水戸市の男女平等参画基本条例の提案者の一人でしたが混合名簿の必要性について考えさせられた一幕でした。


2011.03.18

赤塚小学校の卒業式に出席

地震の影響で体育館は使えず校舎の多目的ホールでこぢんまりとした初めての経験でしたが、ひとり一人の神妙としている表情が見えて良かったです。校長先生の大内先生の式辞が心のこもったもので一同感動しました。式典の最中も結構強い揺れがあり一瞬みんな緊張モードになりました。一日も早く余震がおさまるよう祈ります。


2011.03.17

〜3月17日(木)までの6日間 365日24時間通じますと言って教えて来た携帯電話がかすかな電波の隙間を掻い潜って通じると思うと、それは市民相談の内容で、水が出ない、電気がつかない、道路が危険、ドアが開かない、ドアが閉まらない、電話が通じない等などの苦情や相談の電話ばかりで、その対策に駆け回っていた毎日でしたが、『水戸市の対応の悪さのお叱り』が相次ぐ中で「こんな人に市長になれば水戸は絶対良くなるよ!」との声も頂き(若干一人の方でした・笑・)汗と涙と笑顔、悲喜こもごもの毎日でした。


2011.03.15

福島県富岡から放射能の被ばくを恐れ避難してきた4家族19人(3歳〜90歳)の人たちの相談を受けることとなり、市民センターでの一時受け入れ、ユースホステルでの入浴の交渉、水戸保健所での被ばく検査など等の立会で、改めて事の重大さを思い知らされました。新荘市民センター・県青少年会館・水戸保健所の方々にはお世話になりました。まだまだ福島原発事故からの茨城県への避難が続くことを予感。災害対策本部で偶然お会いし名助言を頂いたFMぱるるんの小川けいこ代表が話されていた通り、避難されてきている方々の健康状態など人道的な見地では勿論のこと、県と水戸市の役割分担を早急に協議し、一刻も早い対応を行うことこそ茨城県の汚名返上につながるもの、こんな時こそ行政の力が試されているんだなあと反省させられました。


2011.03.13

連絡漏れの参加者に延期を伝えお詫びするために午前9時より市民会館ホール前で待機し事情を理解頂き激励を受けました。特に『変』という大字を書いて頂いた川又南岳先生や赤塚まこと会、清流まこと会の役員のみな様にも復旧で忙しいところ駆けつけて頂き、申し分けなくただただ感謝です。


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