2012.01.02
孫たちが3人来ているため元旦の恒例となっていた年賀状書きがはかどらず、今年は2日となってしまいました。朝から書き始めたところ孫の誘いで時間が取れず、午後は孫たちが出かけたので書き始めると年始の来客が続きましても中断、そうこうしている間にみんなが揃い早めの夕食となり結局深夜までかかる始末で、能力のなさを悟らされました。
2012.01.02
元旦恒例行事の一つとなっている打ち初めですが、今年は例年より在校生の参加者が多いように感じました。短時間ではありましたが、太田前同窓会長、恩師の大木先生、同級生の下妻代表や山野先輩を始めとする顔なじみの先輩後輩たちとテニス以外にも色々な話しが出来て、「厳しいなかでもみんな頑張っていて、同じ考えの仲間がいることを感じ、元気をもらったひと時でした。その最中に『かなり大きな地震の揺れに見舞われ』、元旦早々であることもあり、思わず『今年一年が無事であれ!』と祈らずにはいられませんでした。
2012.01.02
元旦から近所の大型スーパーが開いていると言うので「自分のように元旦から来るお客さんはあまり居ないだろう」と思いながら一人で出かけてみましたが、予想に反してたくさんのお客さんがいて大盛況でした。赤塚中学区の何人もの地元の人たちに久々会うことができて話がはずみましたが、結構厳しい近況をお話した数人の方から、『野村さんは議員を辞めても会社をはじめて奥さんも娘さんも一家で経営していて悠々自適の生活をしているってもっぱらの噂よ!』と言われ「びっくり」驚きました。
余裕がなくて礼状やあいさつ回りも出来ずにいることをいいことに『根も葉もない噂』を立てられてしまっているとしたら?『なんとしても時間を作ってあいさつ回りをしなくちゃ』と思わされた一こまでした。
2012.01.02
家族で新年のあいさつ後朝食をすませ、孫3人の手をひきながら妻と一緒に参拝しました。
玉串を奉奠し『今元気でここに存在できていることに感謝をのべ、災害が再発すること無いよう、先行きの見えない日本の政治・経済を始めとした国情が回復するよう、世界の平和と安泰を祈念しました。』
ラッキーなことに、田所宮司さんをはじめ神官さんや巫女さん達と新年の挨拶を交わすことが出来ました。
例年だと「芸術館のカウントダウンに参加してその足で参拝するため深夜の参拝となってましたが、今年は千波湖公園広場での復興カウントダウンというイベントの主催者の一人であったため芸術館へは行けずに、午前9時頃の参拝となりました。その結果、長蛇の列の参拝者は例年とは違う顔ぶれで、その中に居た久しぶりの知人たちにも会うことが出来て嬉しく、9時で良かったなと思いました。
2012.01.02
開会式に参列された市教育長、市スポーツ振興協会役職員、陸連役員、市内小中学校長・教頭先生等の関係者の方に年始の挨拶をし、延べ2350人の健康人が参加という中で岡田参議議員、加藤県議が走る第1組の350人の勇者にエールを送り、後は落ち着ける「黄門茶屋」でおいしい甘酒とお茶をご馳走になりました。
水戸陸協の桜井会長にも会い、「水戸でのフルマラソンを計画中」と聞き、以前2月に開催されていたハーフマラソンの「黄門マラソン」を議会で質問し自分が提案者であったことなど話しながら賛意を伝えました。「前に参加したことを思い出し(何年ぶりかな?)」などと思いながら第3組のスタートまでで引き上げてきました。後にメールで親しい友人が母子で参加していたことを知り、知らずに帰ってきてしまい応援できなかったことを悔いました。「来年こそ参加するぞ!」
2012.01.01
●復興支援・年末年越しカウントダウン『ライトアップ★MITO』に参加
震災による沈滞ムードを吹き飛ばして新しい年を迎えるための一助になればと水戸葵LCの若林さんと水戸LCの鈴木さんが言いだしっぺとなり、ライオンズクラブ市内6クラブと水戸青年会議所、水戸商工会議所青年部を中心とした実行委員会により開催しましたが、私は水戸葵LCの第1副会長という主催者であり協賛者の一人として参加させて頂きました。イタリアのボローニャの友人の子息の客人ルイ君を連れて参加、ライブ→お笑いプロレス→くじ引き→年越しカウントダウン→年忘れ花火大会の間に地元のB級グルメのブースで食べ通しの状態で参加者2000人の一人として大満足の時を過ごしました。花火の後エンディングまでの間にルイ君を友人宅へ送ってきて午前2時過ぎまでテントをたたんだりと後かたづけをしてお開きまで充実の時間でした。
●友人とともに護国神社参拝→元朝式→元旦参り 『神社のお社の前から元旦の日の出の時刻に参観すると、石ただみの先にある鳥居の真ん中に太陽が昇ってくるという知る人ぞ知る名所』であることを知りながらも日の出まで待てずに一度帰宅し、冷え切った体を温め着替えに帰り戻って元朝式→元旦参りに出席と分刻みでのハードスケジュールでした。
2012.01.01
やっと少し時間がとれそうな状況になってきたので近い内に編集してアップさせて頂きますので、今回は雑ぱくな報告のみさせて頂きますがお赦し下さい。
5月末まで伸びた市長選挙に敗戦の後、泉町を始めとした3カ所の事務所を閉鎖、16年間お世話になった後援会事務所を引っ越し等々の雑務に加え、未払いのままでいた印刷代や電話料等の支払と借入金を分割にしてもらったりなど後始末に追われる3か月でした。
3月1日で辞職したことで2月分の給与を頂いた以降は無給の状態の中で経費だけがかさみ続け、敗戦後も義理張り等の不祝儀や通知を頂いた行事等への参加は現職の時と変わらずという状態で、安いと思いながら頂いていた議員報酬がどんなに有難かったものか、負け選挙がこんなにも大変なことだったのか、と思い知らされた毎日でした。
その一方で有難いと思ったことは、市役所がちりぢりになっていることも加えてか現職でもないのに市民のみな様からの相談が変わらずに寄せられてくること。そして、それらの解決にあたる際に行政を始めとした関係者の方々が、現職時代と何ら変わらずに解決に向けて協力頂けたことや、会う方会う方が、『1票入れたんですよ。めげずにまたやるんでしょ。変わらず応援してるから頑張って下さいね。』と声を掛けて下さることでした。もっとも事業主等の経済人の方々の声は『相手の年令と取り巻きの組織を見たら勝ち目がないことは明白だから、市長は止めた方が良い。』という方が多かったですが、いずれも『私のことを考えての有難いお言葉。』には違いない分けで感謝しなければと思わされました。